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【復興に向けた活動の記録】震災に負けず、能登の祭り文化を未来につなぐ
能登の人々にとって「祭り」は生活の一部能登の夏の風物詩といえばキリコ祭り。能登一帯では夏から秋にかけて約200の祭りが行われ、数百基におよぶキリコが担ぎ出されます。その口火を切るのが、日本有数の奇祭として知られる『あばれ祭』。能登町宇出津に鎮座する八坂神社の祭礼として行われるこの祭りは、宇出津を疫病から救った神様をもてなすために始まったとされ、大松明の中をキリコが乱舞し、川や海に神輿(みこし)が叩
もっとみる【復興に向けた活動の記録】炊き出しや交流イベントを経て、被災地との絆を深める(金沢武士団)
スポーツの力で被災地を元気にする2024年9月28日にバスケットボールB3リーグの新シーズンを迎えた『金沢武士団(サムライズ)』。2022年から七尾市の田鶴浜体育館を練習拠点とし、地元ファンとの絆を深めてきたこともあり、金沢市総合体育館で行われた開幕戦には能登方面から多くのサポーターが来場。それに応える形で選手たちが熱意あふれるプレーで会場を湧かせるなど、能登復興のシンボルとして被災地に活力を生み
もっとみる【復興に向けた活動の記録】若き職人の仕事を守り、輪島塗の伝統をつなぐ
事務所と工場の倒壊によって製造が不可能に令和6年能登半島地震の発災から約3ヶ月、地域経済を支えてきた観光業や漁業などの地場産業への打撃は深刻で、いまだ復旧・復興のめどが立っていない地域も多くあります。その一つである輪島市では、多くの建物が倒壊したほか、市中心部の「朝市通り」で大規模な火災が発生。国指定無形文化財で石川県の伝統的工芸品でもある「輪島塗」も大きな被害を受けました。
200年以上の歴史
【復興に向けた活動の記録】被災者の気持ちに寄り添った こころのケアを
災害救護チームの一員として現地に派遣未曾有の大災害となった令和6年能登半島地震。この地震による人的被害は大きく、県の要請を受けた多くの医療チームが被災地に赴き、献身的な医療活動を行ってきました。
そのひとつである「日本赤十字社」では、震災直後から被災地での医療救護活動、救援物資の配布、こころのケア活動などを実施。緊急支援から復興までを見据えた支援が今もなお行われています。
『金沢赤十字病院』に
【復興に向けた活動の記録】生まれ育った地元のために、若い力で避難所を支える
震災直後から物資の運搬を自主的に開始全国屈指のイカの漁獲高を誇ることから、「イカのまち」として親しまれている能登町小木。リアス式海岸特有の絶景を望む九十九湾(つくもわん)に面したこの町も、能登半島地震により大きな被害を受けました。多くの被災地と同じく、ライフラインが寸断され生活もままならない状態。地震発生直後から、小木で暮らす多くの人たちが最寄りの避難所に身を寄せました。
灰谷悠翔さんと南山玄英
【復興に向けた活動の記録】炊き出しから派生される地域コミュニティー
海外渡航をキャンセルして被災地能登へ令和6年能登半島地震では、発災直後から、被災地での活動経験が豊富な専門ボランティア団体が石川県入りし、炊き出しや災害ゴミの撤去などを行ってきました。川島莉生さんが所属する『一般社団法人OPEN JAPAN』もそのひとつ。東日本大震災以後、数々のボランティア活動によって生まれたコミュニティーを最大限に生かしながら、能登町全域でボランティア活動に取り組んでいます。
【復興に向けた活動の記録】水道の早期復旧を目指し、市内を駆け巡る
震災翌日から水道の復旧作業を開始令和6年能登半島地震の影響により発生した断水被害は最大で110,000戸。能登地方を中心に水道管が広範囲で壊れ、また道路が寸断されて復旧作業に制約があったことなどから断水は長期化。住民は不自由な暮らしを余儀なくされました。
全国からの応援協力のもと、3月末時点で断水の約9割が解消。そんな復旧作業を陰から支えたのは、県内外の水道工事業者でした。
そのひとつが七尾市
【復興に向けた活動の記録】ピンチをチャンスに変える。自慢の「能登かき」を全国区へ
水揚げ量は例年の5分の1まで激減穏やかな山々と三方を海に囲まれた七尾市中島町。全国有数のカキの産地として知られるこの地では、肉厚の身と濃厚な味わいが特徴の「能登かき」の養殖が盛んに行われています。漁場となるのは天然のいけすとも称される七尾湾。まるで湖のように穏やかな海辺にはいくつものカキ棚が連なり、そのたたずまいは能登の里山里海の美しさを象徴しています。
そんな石川県が誇る「能登かき」も、令和6