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【復興に向けた活動の記録】被災者の気持ちに寄り添った こころのケアを

被災地で、避難所で、今いる場所で。たくさんの人々が被災地や被災者のために立ち上がり、知恵や技術、思いを持ち寄って活動を行っています。一人ひとりが今自分にできることを考え、実践することで、小さな力が大きな力に変わります。

災害救護チームの一員として現地に派遣

未曾有の大災害となった令和6年能登半島地震。この地震による人的被害は大きく、県の要請を受けた多くの医療チームが被災地に赴き、献身的な医療活動を行ってきました。

そのひとつである「日本赤十字社」では、震災直後から被災地での医療救護活動、救援物資の配布、こころのケア活動などを実施。緊急支援から復興までを見据えた支援が今もなお行われています。

『金沢赤十字病院』に在籍する松田慧さんが被災地に派遣されたのは1月の中旬。同じ職場で働く医師や看護師らとともに珠洲市の避難所を巡回し、刻々と変化する被災地の医療ニーズに対応しながら、避難者の診察補助やこころのケアにあたりました。また、避難所では物資や設備、衛生面などの状況をアセスメント。その情報は県にも共有され、現実的な支援へとつながっていきました。

「被災地では地元の保健師やDMATをはじめとする各医療チーム同士の連携によって、さまざまな情報共有をもとにした医療活動が行われています。そうしたなかで私たちは、次に訪れる医療チームがより良いケアを行えるよう、情報の収集と伝達を強く心がけました」

どんなときも目の前にいる人を大切にしたい

「いつまた余震がくるか心配で仕方ない」「この先どうやって暮らしていけば分からない」。そうした不安を少しでも和らげるため、こころのケアを行うのも松田さんの役目。ひとりひとりの話にしっかりと耳を傾けながら、被災者の気持ちに寄り添ってきました。

「災害がもたらす精神的な影響は想像以上。なかには長い避難生活でメンタルが疲弊しきっている方もいて、ささいな事でも被災者の声に耳を傾けることがどれだけ大切であるかを再確認しました。でも、そんな状況の中でも能登の人たちは本当に明るい!診察に訪れたときも笑顔で迎え入れてくださって、こちらが励まされたくらいです」

災害による医療ニーズは減っていくものの、断水の影響で避難所の衛生環境は悪化していく一方。感染症のリスクが高まるのはもちろんのこと、手洗いやうがいができないためコロナウイルスやインフルエンザの予防対策が課題となりました。そうした資源と設備が限られた状況の中、松田さんは過去の経験が生かされたといいます。

「過去に1年ほどNGOの医療活動に参加させてもらったことがありました。場所は東南アジアの発展途上国。もちろん十分な医療設備は整っておらず、道具や機器に頼らないフィジカルアセスメントが必要とされました。そうした五感を使って患者さんを観察してきた経験が、被災地でも生かされたと感じています」

松田 慧さん
1983年生まれ、神奈川県出身。『金沢赤十字病院』看護師。2017年より同病院に勤務し、令和6年能登半島地震では日赤救護班の一員として被災地での救護活動にあたった。

「どんなときも目の前にいる人を大切にする」。このマザー・テレサの言葉を心の糧にしながら、今回の救護活動に取り組んできた松田さん。任務を終えた現在は、能登の病院から移ってきた患者さんのこころのケアも行っているそうです。

※このインタビューは令和6年(2024年)2月26日に実施されたものです。