【復興に向けた活動の記録】炊き出しから派生される地域コミュニティー
海外渡航をキャンセルして被災地能登へ
令和6年能登半島地震では、発災直後から、被災地での活動経験が豊富な専門ボランティア団体が石川県入りし、炊き出しや災害ゴミの撤去などを行ってきました。川島莉生さんが所属する『一般社団法人OPEN JAPAN』もそのひとつ。東日本大震災以後、数々のボランティア活動によって生まれたコミュニティーを最大限に生かしながら、能登町全域でボランティア活動に取り組んでいます。
地震が起こった元旦の夕方、OPEN JAPANスタッフの川島莉生さんは、友人たちと東京で余暇を過ごしていました。
「ついこの間まで秋田県で災害ボランティアをしていて、年始くらいは仲間と一緒にのんびりしようと思っていた矢先のことでした。じつは春には海外に長期滞在する予定もあって、能登に行くべきか迷ったのが本当のところ。でも、自分が行かなければ、だれが行くんだと思い直して。要請があった3日後には現地入りしていました」
川島さんが担当するのは炊き出しの調整係。支援者の受け入れや場所の確保など、炊き出しが円滑に進められるようマネジメントする大切な仕事です。また、その中で川島さんは、被災した人たちとも積極的に会話を図ってきました。
「被災者にどういったニーズがあるのか、どんなことに困っているか。炊き出しはそうした声が拾える場。現場で聞いたリアルな声こそ、効率的な支援につながると考えています」
日頃から横のつながりを強める意識が大切
これまでは、倒壊や浸水被害にあった家屋の再生を担当することがほとんどで、炊き出しを担当するのは今回が初めてだったとのこと。真冬の寒空の下、温かい料理を求める人々が長い列を成す。白い息を吐きながら「ありがとう」と声をかけてくれるその姿に、中学時代に訪れた石巻で被災者が涙を流しながら炊き出しを喜んでくれた、その時の感覚がよみがえったと言います。
「炊き出しに並ぶ人たちの“ありがとう”の一言が、僕たちのモチベーションになっています。炊き出しは全町民に均等に行き渡っているか、いつどこでやるかの情報は多くの人に届いているのか。そういったプレッシャーはたしかにあります。でもそんなことを言っても始まらない。なるべく均等に行き渡るように各団体と連携をしたり、SNSで炊き出し情報を拡散したりしながら、みんなに喜ばれる炊き出しを追求していきたいと思っています」
避難所から自宅へと生活拠点が切り替わっていく中で、川島さんは地域のコミュニティーがどんどん薄くなっていくことを危惧しています。
「災害時の困難を乗り越えるためには、日頃から横のつながりを強めることが大切。そういった意味でもこの炊き出しがコミュニティーの場になればと思っています。炊き出しの場にコーヒーを提供するサロンを設けているのもそうした理由があるから。ちょっと会話を交わして、顔見知りになるだけでもいいんです」
炊き出し需要が落ち着いてきた現在は、家屋の再生へとボランティアの内容が少しずつ変化。倒壊した家屋から家具や生活用品を運び出し、消毒や殺菌などを行う。津波の被害が大きかった白丸地区では、泥出しやごみの搬出も行いました。
「自分たちの世代にボランティアに関心を持って欲しい。被災地は思った以上に人手不足なんです」
川島さんはそんな言葉を残して、炊き出しの輪の中に消えていきました。
※このインタビューは令和6年(2024年)2月29日に実施されたものです。