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【復興に向けた活動の記録】若き職人の仕事を守り、輪島塗の伝統をつなぐ

被災地で、避難所で、今いる場所で。たくさんの人々が被災地や被災者のために立ち上がり、知恵や技術、思いを持ち寄って活動を行っています。一人ひとりが今自分にできることを考え、実践することで、小さな力が大きな力に変わります。

事務所と工場の倒壊によって製造が不可能に

令和6年能登半島地震の発災から約3ヶ月、地域経済を支えてきた観光業や漁業などの地場産業への打撃は深刻で、いまだ復旧・復興のめどが立っていない地域も多くあります。その一つである輪島市では、多くの建物が倒壊したほか、市中心部の「朝市通り」で大規模な火災が発生。国指定無形文化財で石川県の伝統的工芸品でもある「輪島塗」も大きな被害を受けました。

200年以上の歴史を持つ輪島塗の製造販売店『田谷漆器店』では、多くの漆器が保管されていた事務所棟と工場が全壊。新しく建設中のギャラリーも大火に巻き込まれてしまいました。震災後は金沢を拠点とし、輪島塗再建のため精力的に活動してきた代表の田谷さんは、定期的に輪島市を訪れては無事だった商品を救い出す作業を継続。現在はその作業も終え、営業再開に向けて準備を進めています。

「新たに工場を建て直し、製造を再開するにはまだまだ時間がかかります。ですが、国の予算によって県輪島漆芸美術館の敷地内に仮設工房が建設されることが決まるなど、少しずつ復興の糸口も見え始めています」

震災をバネに輪島塗の魅力をさらに深める

震災後、田谷さんは輪島塗業界全体を立て直すことを目的としたクラウドファンディングを立ち上げました。市の人口の約5%の人たちが輪島漆器関係に従事している現状で、多くの職人や事業者の仕事を生むことが、復興につながるのだと言います。

「輪島塗業界が再建するためには、塗師屋(ぬしや)と職人同士が手を取り合っていかないといけません。この業界には若い職人もたくさんいる。何百年も受け継がれてきた輪島塗の伝統を次の世代につないでいくためには、若手の仕事を確保して生活を安定させることも大事だと考えました」

現在、田谷さんは全国で活躍するデザイナーの協力のもと、新たなブランドを立ち上げようとしています。

「この震災をバネに今まで以上に輪島塗を魅力的なものとして伝える。それくらいのポジティブさも必要なのではないかと思っています。彼らとのコラボで能登が復興していく様子を届けることで、支援してくださった方にも恩返しができるはずです」

また、先の未来について田谷さんはこう話します。

「将来の目標は、輪島塗の歴史や文化を深掘りできるような体験施設をつくること。街の中に輪島塗が溶け込んでいる、輪島市がそんな場所になることを夢見ています。そのためにも、まちづくりに率先して参加していきたいですね」

「堅牢優美(けんろうゆうび)」とも表現される輪島塗ですが、その美しさと強さを支えるのが、124にもおよぶ工程数と、細分化された工程を多くの職人が分業でつないでいく文化にあります。

「一つの漆器には多くの名もなき職人の魂が宿っているんです」と田谷さん。そうした多くの職人の仕事を守るため、田谷さんは人と人を紡いでいるのです。

※このインタビューは令和6年(2024年)2月27日に実施されたものです。