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【復興に向けた活動の記録】ピンチをチャンスに変える。自慢の「能登かき」を全国区へ

被災地で、避難所で、今いる場所で。たくさんの人々が被災地や被災者のために立ち上がり、知恵や技術、思いを持ち寄って活動を行っています。一人ひとりが今自分にできることを考え、実践することで、小さな力が大きな力に変わります。

水揚げ量は例年の5分の1まで激減

穏やかな山々と三方を海に囲まれた七尾市中島町。全国有数のカキの産地として知られるこの地では、肉厚の身と濃厚な味わいが特徴の「能登かき」の養殖が盛んに行われています。漁場となるのは天然のいけすとも称される七尾湾。まるで湖のように穏やかな海辺にはいくつものカキ棚が連なり、そのたたずまいは能登の里山里海の美しさを象徴しています。

そんな石川県が誇る「能登かき」も、令和6年能登半島地震によって甚大な被害を受けました。

「1〜2月は出荷の最盛期。それまで大切に育てたカキの一部が津波に流されただけでなく、出荷量が減少したことにより成長したカキの重さで、カキ棚の一部が海底に沈んでしまいました」

1月3日、全従業員の無事を確認した『下村水産』の浅井絢美さんは、震災後初めて会社に足を運び、被害の大きさを目の当たりにします。幸いだったのが建物や設備、船の被害が少なかったこと。カキ棚の修復には時間がかかるもののカキ自体は収穫できる状態で、地道に復旧作業をしていけば近いうちに営業再開にたどり着けるはず、そう考えていました。

しかし、そんな希望に立ちはだかったのが、震災直後から続く「断水」でした。七尾市全域で大規模な断水が発生。『下村水産』も例外ではなく、2月中旬まで水道水が供給されることはありませんでした。

「通常のむき身で販売するには、きれいな真水が必要になります。だけど断水だとそれがかなわない。海水で殻の汚れを落として出荷できる、殻付きカキに絞って販売することにしました。おかげさまで応援購入をしてくださる支援者の方が多く、たくさんの応援メッセージも心の支えになりました」

浅井 絢美さん
1990年生まれ、七尾市出身。『下村水産』代表。電子機器メーカーのエンジニアとして設計に従事した後、家業であるカキの養殖業を継承。3代目として「能登かき」の普及活動に力を注いでいる。

全国からの応援メッセージが心の支えに

とくに応援購入が多かったのが、東北や熊本といった震災の経験がある地域でした。「時間はかかるけど、かならず復興できるから頑張ってください」。そんな声にスタッフたちは励まされ、それと同時に浅井さん自身の心境にも変化が起こったのだそうです。

「私自身、東日本大震災や熊本地震が起こったときは、被災地への支援に対してそこまで深く考えることができませんでした。でも今回の地震をきっかけに、もし日本のどこかで震災が起こったらいち早く支援してあげたいという気持ちが芽生えました。私たちが助けてもらった、心のよりどころになった思いをつなげていきたい。支え合う気持ちというのは、こうやって巡り合っていくのだと感じています」

オンラインショップでの販売が再開されたとはいえ、従業員の中には自宅が倒壊して会社で寝泊まりする人もいるほど、普段の生活とはほど遠い状況。本来であれば今頃はにぎわっていたであろう直売所の営業も、いまだに再開の見通しが立っていません。今後の展望について浅井さんはこう語ります。

「中島のカキ業者、とくに沿岸部では揺れの影響で建物が傾いてしまい、営業再開の見通しが立っていない所もあると聞きます。そうした業者を、幸いにも被害が少なかった私たちが支えていくべきなのではないか。カキ漁関係者にシニア世代が多い中で、復興に向けて私たちの世代が引っ張っていくべきなのではないか。そんなことを考えながら、能登かきと七尾の水産業を復活させる方法を模索しています」

将来的には、生食用の「能登かき」のブランディングにも挑戦していきたいという浅井さん。ピンチをチャンスに変えようとする若き社長は、復興への道のりを力強く歩んでいます。

※このインタビューは令和6年(2024年)2月29日に実施されたものです。