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【復興に向けた活動の記録】震災に負けず、能登の祭り文化を未来につなぐ

被災地で、避難所で、今いる場所で。たくさんの人々が被災地や被災者のために立ち上がり、知恵や技術、思いを持ち寄って活動を行っています。一人ひとりが今自分にできることを考え、実践することで、小さな力が大きな力に変わります。

能登の人々にとって「祭り」は生活の一部

能登の夏の風物詩といえばキリコ祭り。能登一帯では夏から秋にかけて約200の祭りが行われ、数百基におよぶキリコが担ぎ出されます。その口火を切るのが、日本有数の奇祭として知られる『あばれ祭』。能登町宇出津に鎮座する八坂神社の祭礼として行われるこの祭りは、宇出津を疫病から救った神様をもてなすために始まったとされ、大松明おおたいまつの中をキリコが乱舞し、川や海に神輿(みこし)が叩きつけられるなど、豪快な光景を見ることができます。

宇出津では神輿を手荒く扱うほど神様が喜ぶと言い伝えられている。

震災後、宇出津では祭りを開催するべきかどうか、賛否が大きく分かれました。最終的には開催されることが決定しましたが、キリコを動かすのに必要な担ぎ手を確保できないなどの理由で、参加を断念した町会(※)もあったそうです。

「僕たちの町内でも参加に反対する声はありました。もしかすると、他の地域の人には『なぜこんなときに』と思われたかもしれません。でも、宇出津の人間にとってあばれ祭は生活の一部。子どもの頃からずっと祭りを起点に一年を過ごしているんです。そういった町の文化を絶やさず次の世代に伝えるためにも、祭りに参加することを決めました」

そう話すのは、昭和町に暮らす川端優介さん。新村本町、昭和町、新村浜町の三つの町内会に属する若衆たちによって結成された新村新友会の代表を務め、これまで祭りの運営に尽力してきました。

※ あばれ祭をはじめとする能登のお祭りは、町会単位で参加するのが一般的となっている。

宇出津港

そんな川端さんが昭和町で暮らすようになったのは10年ほど前。宇出津にいる親戚から「こっちで仕事してみんか?」と声をかけられたのがきっかけでした。

「生まれは金沢なんですが、父方の実家が昭和町にあったこともあって、幼い頃からあばれ祭には毎年参加していました。こっちでは盆や正月は帰ってこなくても、祭りにはかならず里帰りするという人がほとんど。自分もそういうタイプでしたね。宇出津に来るまでは東京にいましたが、ずっとこの町のことは心にあったので、誘われたときはうれしかったです」

川端優介さん
金沢市出身。宇出津生まれの父の影響で、幼い頃からあばれ祭に参加。東京でのサラリーマン生活を経て、22歳で能登町に移住する。

祭りが生み出す地域コミュニティー

祭りの開催に向けて新村新友会ではクラウドファンディングを開始。そこには多くの支援金が集まり、それらを祭礼費などに充てることで無事に参加がかなったと言います。

「今回の震災で製材所や工務店も多くの被害を受けました。このふたつは神輿やキリコの製作に欠かせない場所。津波で道具や機材が壊れたりもして、その復旧に多額なお金が必要だったんです」

当日はクラウドファンディングの出資者を招いた合同ヨバレ(※)も開催された。
※祭りの日に親戚や友人らを自宅に招いてごちそうをふるまう風習

無事開催となったあばれ祭。震災の爪痕が残る街中を大小37のキリコが駆け巡る中、川端さんは祭りの大切さを改めて感じることになります。

「震災を経験して感じたのが、地域のつながりの大切さ。宇出津には祭りを軸にしたコミュニティーがあることで、町の人たちが顔を合わせ、互いの存在を確認し、励まし合うことができる。このつながりがあったからこそ、多くの人が救われたと実感しています」

泥だらけになりながらお互いをたたえあう川端さんと神輿責任者

「来年以降も祭りを続けていくためには、自分たち若い世代が引っ張らなくてはいけません。そんな中で、今回の祭りによって町民同士の絆がより深まり、復興に向けての士気が高まったことは、僕にとって大きな希望となっています」と川端さん。

奥能登では、古くから続く祭礼文化が復興の原動力となっています。

※このインタビューは令和6年(2024年)7月下旬に実施されたものです。