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【復興に向けた活動の記録】能登の生業(なりわい)再建のために、珠洲焼の魅力を伝えていく


被災地で、避難所で、今いる場所で。たくさんの人々が被災地や被災者のために立ち上がり、知恵や技術、思いを持ち寄って活動を行っています。一人ひとりが今自分にできることを考え、実践することで、小さな力が大きな力に変わります。

自宅兼工房が倒壊し、避難生活へ

珠洲焼は、平安時代末期から室町時代後期にかけて生産された中世日本を代表する焼物の一つ。一時は生産が途絶えてしまいましたが、昭和後期になって復活した幻の古陶とも呼ばれています。特徴的なのは灰黒色をした素朴で美しい焼き肌。使い込むほど味わいが増す器として、全国各地で親しまれています。

珠洲焼 折坂理恵作

震災後、拠点となる工房を失うなどの被害を受けながら、今もなお作陶を続ける一人の女性がいます。

珠洲焼作家の折坂理恵さんが拠点とする正院地区は、建物の8〜9割が半壊以上という今回の地震によって甚大な被害を受けた地域の一つ。折坂さんが工房にしていた家屋もまた倒壊に見舞われ、避難所生活や2次避難を余儀なくされました。

「地震発生時は家の中にいましたが、1度目の揺れで外に出たため、2度目の本震による家屋倒壊には巻き込まれずに済みました。その後は地元の小学校で2週間の避難生活、小松市で1カ月ほど2次避難をして、現在は珠洲市内にある仮設住宅で暮らしています」

折坂理恵さん
北海道出身。珠洲焼基礎研修課程を受講するため珠洲市に移住。研修終了後は「珠洲陶房 折々」として活動を開始し、日々その時々に寄り添えるような作品をコンセプトに、酒器や茶器、生活雑貨、普段使いの食器などを作り続けている。

令和6年能登半島地震によってこれまでの生活が一瞬にして崩壊し、先が見えない避難生活に直面した折坂さん。それでもこの地を離れようと思うことは一度もなかったと言います。

「故郷の北海道に戻るという選択肢もあったはずですが、最初から珠洲に残ることを大前提として動き出している自分がいました。移住してから4年の間で築いた地元の人たちとのつながりは強く、この苦境を一緒に乗り越えていこうと、迷いがなかったんです」

窯入れ前の箸置き。焼くことで黒く変色する。

伝統工芸はその地に人々が生き続けてきた証

2024年7月には約半年ぶりに作陶を再開。現在は、珠洲焼作家と道の駅スタッフの二足のわらじで、生業の再建を目指しています。

「仮設住宅への入居が決まった段階で珠洲市陶芸センターの自立支援工房を借り、倒壊した家屋から運び出した仕事道具や粘土を保管していきました。作陶を再開したのは施設に上水が通った7月の半ば。まだ小物が中心ですが、これから少しずつ本格的な作品も手がけていきたいです」

珠洲市陶芸センター

石川県には藩政時代から積み上げられてきた多くの伝統文化が地域に深く根付いています。これらの文化は人々に活力を与えるだけでなく、地域社会を活性化させる原動力となっており、今後の復興にも大きな役割を果たすことが期待されています。

「地震によってこれまでの生活が一瞬で崩壊し、家々がなくなり、人も離れ、すべての面で変わっていくことを余儀なくされました。そんな中で、この場所で人々が生き続けてきた証でもある伝統工芸には、文化や歴史を終わらせず、これからも変わらず人が根付いていくためのよりどころとなる力があると思っています」

折坂さんが今後の目標とするのは、倒壊した工房の再建をはじめ、日常的に作陶活動ができる環境を整えること。その一方で、珠洲焼を生業とする作家を増やすために、一人でも多くの人に珠洲焼の魅力を知ってもらえるような活動にも力を入れていきたいと語ります。

「珠洲焼って、入れる物や飾る物を引き立てる、縁の下の力持ちのような焼き物なんです」と折坂さん。

彼女の創作活動もまた、復興を足元から支える大きな力となるに違いありません。

※このインタビューは令和6年(2024年)7月下旬に実施されたものです。